北海道キャンプツーリング紀行(Ⅳ)

●北海道のパノラマ絶景は開拓と火山で作られていた。

4. 自然と和人の営みの歴史が見えた渡島(おしま)半島

◆激しい火山活動で造られている渡島半島

 苫小牧から支笏湖、有珠山、洞爺湖へと、渡島半島方面へ進みました。太平洋プレートが日本海溝で沈み込む時に生み出されたマグマが上昇してできた、北は利尻島から、南は赤城山、浅間山と続く東日本火山帯、渡島半島にその火山帯の火山やカルデラが密集しています。渡島半島をGoogleMapの航空写真等で見ると、いくつもの火山、カルデラ地形、火口湖が見られます。そのいくつかに訪れました。

・今も活発な火山活動をする有珠山、その有珠山ロープウェイで登った中腹から見下ろした昭和新山の迫力。2000年洞爺湖温泉街に近い有珠山山麓で発生した噴火口の生々しさと、その時一帯の隆起活動でねじれて大きく傾いた町道

・きれいな火山の山容を見せる羊蹄山

・かつては富士山、羊蹄山と同様な姿をしていただろう、しかし猛烈な噴火で山体が変わってしまった駒ヶ岳。駒ヶ岳を南側から見た姿からは想像できなかった、北側の凄まじい噴火の跡

・旅の終盤に立ち寄った登別温泉地獄谷の異様な姿、川面からは湯気が立ち上がっている火口湖大湯沼から流れ出す川

・苫小牧の北西にある異様な形状の三重ドームを持つ樽前山とその広大なすそ野に広がる樹林

数十キロの範囲に火山地形が密集する渡島半島、改めて火山国日本を感じました。しかし見落としてはいけないのは、北海道の形で特徴的な大きな弧を持つ「内浦湾」はカルデラなの? ということ。長万部を移動中、標識には「噴火湾」と明記されているのを多く見かけました。私もここに巨大なカルデラがあったのだろうという理解をしていました。後で調べると、ここには噴火地層がないということから、単に丸い湾、「内浦湾」が正しい、と知りました。

◆北海道で初めて和人の風土を感じた松前藩の地、函館へ

 渡島半島を南に下り函館に入ると、それまでの北海道紀行では感じなかった和人の歴史・風土を感じるようになりました。松前藩が蝦夷に領地を持つようになったのが江戸時代の初め頃から。お寺、神社の風格や棟数、街の家の作りが日本的というか、本州的となり、お墓の規模一つにも年月の流れを見て取ることができました。今まで見てきた北海道的な風景ではなく、日本的な見慣れた風景と言えます。松前藩の時代、北には和人が一冬さえも超すことができない広大で未開の蝦夷の地が広がり、そこは和人にとっての空白地帯だったのです。その空白地に列強やロシアが侵入することを懸念し、徳川幕府は仙台藩などの東北の藩に蝦夷の地の警備をさせていた。しかし本格的な和人の蝦夷への進出は、明治の時代が始まり函館戦争が終結した後であります。明治維新で禄を失った士族達が藩ごとに入植、士族中心とした屯田兵による開拓。そして網走の話で前述した収監所、後の監獄・刑務所の囚人達によるインフラ・道路整備、会社・結社による入植開拓と続き、皇族御料地や国有地の払い下げ、地方の町ごとの入植と、100年という短い期間に一気に松前の地から、大地の奥へと開拓が北海道内へ広がっていった。和人の風土を、300年、400年と和人の歴史がある函館に来てようやく感じたのも、また他の地ではあまり感じなかったのも、大きな時間の差があるから当然です。

渡島半島の西側にある小さな魚港の町、乙部町。ここの漁港に「北海道が始まった地」という碑が建っていました。函館戦争時五稜郭に立てこもる旧幕府軍を討伐するために、官軍の戦艦が乙部沖合に停泊し、上陸、函館の町・五稜郭へ向かったと記載されていました。この後、蝦夷は新政府により北海道と命名され開拓が始まったことを受け、「北海道が始まった地」と記録したとのこと。

◆溶岩性の切り立った崖が続く追分ソーランラインを北上 

日本海沿いに北上するニシンを追って行われたニシン漁で繁栄した、という共通の文化を有する地域が松前から留萌へと伸びています。その地域を結んでニシン街道と呼ばれています。今回は函館から乙部町で日本海側に出て、海岸線を岩内まで走りました。北海道の民謡『江差追分』、『ソーラン節』発祥の地でもあることから、「追分ソーランライン」とも言われています。ニシンといい、ソーラン節といい日本海的なイメージが湧いてきますが、道は花崗岩の大きな岩壁や、柱状列柱が見事な崖、また溶岩性のごつごつの岩肌と岩の屋外博物館のような景色が延々と続きます。はるかな岬を回ると、小さな町、漁港と現れては消えてゆくという繰り返し。途中海岸の浜のキャンプ場で見た、落日夕日は素晴らしかったです。

◆インバウンド繁栄ニセコ、でも雪がないニセコは、なぜか寂しい、日本の高原に戻っていました

岩内の海岸線から、洞爺湖まで結ぶニセコパノラマラインという峠道を走り、ニセコの高原を目指します。峠には神仙沼という山岳湖沼があります。峠の駐車場から、林に設けられた遊歩道を1km程進むと視界が開け、木道が設けられた湖沼にたどり着きます。残雪が残る峰と、小さな花が咲く大小の湖沼が、見事な景色を見せてくれました。峠を下りニセコの町へ。羊蹄山がどこからでも美しく見えるニセコ町、倶知安町、京極町といくつかの町を通過。冬季は上質な雪が積もり極上のスキーエリアとなる一帯で、高級国際リゾート地、日本にして日本にあらずの地、しかし訪れた6月中旬のニセコは、人の訪れが途絶えて寂しさがただよい、ここは日本のどこにでもある、少しブームが去った高原に戻っていました。

◆さあ、明日はフェリーで北海道を離れる日、でもフェリー欠航メールが届く

北海道と関東の天気予報をにらめっこして2日前に土曜夕方のフェリー便を予約していたのですが、九州東海と北上している低気圧の影響で、フェリーは欠航。欠航日から2日後までフェリーが出なくなってしまい、北海道ツーリング行程に、2日の空白日が生じてしまった。この2日間は当然北海道の天気も不安定であり、長距離移動、テント泊も厳しいということで、フェリーに乗る苫小牧に近い白老の町にあるゲストハウスに2泊することにしました。京極町から洞爺湖町と南下し、海沿いに伊達町、室蘭と霧雨の中を進みました。フェリーが予定通り動くならば、大回りとなるため通らなかった道です。これも旅の楽しみと、霧雨の中を室蘭港・白鳥大橋、地球岬と回り、苫小牧方面に前進しました。翌日は路線バスで登別温泉地獄谷と温泉に行ったり、翌々日は「熊出没注意」看板に慄きながら樽前山の7合目まで登ったりと「北海道ツーリングおまけ」を楽しみました。北海道上陸18日目の夕方、苫小牧港から大洗に向かうフェリーに乗船し、「北海道キャンプツーリング」を終えました。

北海道のパノラマ絶景を堪能、そしてちょっと青春を感じた北海道キャンプツーリングでした。

「1. 遥かなる大地の懐へ」編は⇒こちら

「2. 自然と開拓の厳しさを垣間見た大地の果てへ」編は⇒こちら

「3. 多様な自然を見せる大地で」編は⇒こちら

「5. 北海道キャンプツーリング記録」編は⇒こちら

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