●北海道のパノラマ絶景は開拓と火山で作られていた。
3. 多様な自然を見せる大地で
◆三湖三様のカルデラ湖 摩周・屈斜路・阿寒湖
北海道の湖といえば、摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖、の三つの湖。これらの湖は太平洋プレートが、北海道が乗る北米プレートの下にねじり込んでできた知床半島と、そこにできた火山列の先端部分にあり、10万年程の間のカルデラ火山活動によりできた湖と共通する湖である。今日の目的地はこの三つの湖を訪れること。
摩周湖:山の下では霧雨でしたがカルデラ火口のヘリに到達すると、霧雨の雲が消え、湖面に霧が少し溜まっているものの湖面と中島(溶岩ドーム)がうっすらと見ることができた。しかし湖面は、はるか下にあり、摩周湖は霧の中にあって遠くから眺める湖、神秘の様相を崩しませんでした。
屈斜路湖:日本最大のカルデラ湖 カルデラ地形の半分に湖、もう半分に牧場が広がっています。広いが故、観光客はまばらで、静けさも広がっていた湖でした。
阿寒湖: 湖畔の一角には、温泉ホテルと観光土産屋さんが集中する観光地
三湖三様のカルデラ湖巡りでした。
さて当日は六月第一土曜日。小学校校庭では、小学校と地域の合同運動会が開催されているのを複数見かけました。 周辺の広大さと裏腹に意外と小さい校庭で、こじんまりと運動会が行われていました。校庭の上に張られているのが万国旗ではなく「開拓100周年記念」等の横断幕。開拓を通じて培ってきた地域の繋がりを大切にしている運動会なのでしょう。
◆広大な十勝を通り、黄金街道を抜け、北海道の背骨の先端襟裳岬へ
車道幅が広く、両脇にある歩道?いやトラクター道?も広く(実際に長い触手のような散水パイプを装着した大型トラクターが走行していました)、町の郊外に出ると信号ストップがない道が伸びる十勝の平野を南へ移動。広尾町に着くころから、周辺のにおいは牧場の臭いから、磯の匂いへと変化。海岸の崖に開けた幾つものトンネルが続く黄金街道で襟裳岬を目指します。黄金街道とは、ずばりお金がかかったことが由来。トンネル部分の海側には、険しい崖を切り開いて造った旧道(現在は閉鎖中)が並行して残っています。ここは日高コンブの里でもありますので、昆布街道とでも命名してもいいのでは。襟裳岬が近づくと、崖の地形から、草原の台地の地形となり視界が広くなります。しばらく、うねる草原の道を走ると菱形の形をする北海道の宗谷岬の対角にあたる襟裳岬に到着。日高山脈の延長線であり、峰が海底まで続くところが襟裳岬、それが周囲の景色からよく見て取れるところが面白い襟裳岬、当日の天候の影響でしょう「何もない襟裳岬」ではなく、「青空と緑の草原と、白い灯台がまぶしい襟裳岬」でした。
◆並行して走る日高本線廃線跡が寂しい日高の道
襟裳岬の西側も日高山脈の山が海に落ち込み厳しい海岸線が続きます。海岸と崖の間に伸びるJR日高本線の線路と道道が何度も交差しながら苫小牧へと伸びています。しかし線路を走る列車の姿を見ることはなく、線路は赤く、海岸に近い鉄橋は痛み、ただただ踏切の信号機だけが目新しいJR日高本線の跡が、辺境の寂しさを感じさせます。JR日高本線は2015年1月の爆弾低気圧により高波被害を受け、さらに2016年の台風で追い打ちをくらって不通→復旧不能→一部廃線となってしまったとか。しかしそんな寂しさとは裏腹に、新冠町に近づくと、サラブレットが放牧された牧場を多く見かけるように。新冠の町には「サラブレット銀座」という道があり、道の両側には、たぶん有名な競走馬のふるさとであろう牧場が多数続いていました。廃線と銀座通り、なんともギャップのあるところでした。
◆厚真町のその後、自然の脅威・恐ろしさは薄れない
苫小牧の北東に厚真町があります。昨年2018年の夏、厚真町を襲った「胆振(いぶり)東部地震」、厚真町の山肌表層が崩れ、爪痕だらけになったのをテレビ報道で見て、自然が時々顔をのぞかせる脅威・恐ろしさを強く感じたことが思い出されます。少し寄り道ではありましたが、現場に足を延ばしました。厚真町に近づくにつれ、アスファルト道の亀裂を修復する工事通行規制区間も多くなり、山肌がえぐれた山容が目につくようになりました。現在災害復旧工事の現場事務所があちらこちらにあり、現場の山に対比して小さく見える重機が、何台も稼働しているのが見えます。しかし現時点ではあくまでも復旧工事であって、防災工事でないのです。この地の自然の特性とその脅威を知ったならば、山を背にして暮らすことにためらいが生じ、この地に生活する人たちの苦悩が察しられます。
「1. 遥かなる大地の懐へ」編は⇒こちら
「2. 自然と開拓の厳しさを垣間見た大地の果てへ」編は⇒こちら
「4. 自然と和人の営みの歴史が見えた渡島(おしま)半島」編は⇒こちら