【5/11】『稜線から見る成瀬台コース』歩こう会が実施されました。

今年5月の天候は早い梅雨入りを思わせる天候が続いていました。5月11日の天候も予報では2日前まで、ずっと「雨模様の予報」で、参加予定者も『中止連絡』を心配しながら前日まで待っていましたが・・・・天候は前日には「雨予報」が消え、当日朝は晴れで迎えました。(比留川幹事の中止連絡を止めての粘り勝ち!)

集合場所の「小田急線玉川学園前」の改札口に集まったのは9名。この町には学校がたくさんあり、もう少し早い時間だと、たぶん学生の通学客でごった返していたでしょうが、集合時間の10時はシニアの時間です。

※画像をクリックすると拡大・順送りしてご覧いただけます。

さて、1か月前にコース下見を終えていた比留川リーダーから「本日のコースの見どころ・・・・ありません!  ひたすら街中を歩きます」と「アップダウンがあります、頑張って歩きましょう」と本日のコース紹介がありました。

本日の参加者はこれぐらいの事ではへこたれません、元気よく玉川学園前駅を出発し、ぐるりと時計回りに回って玉川学園前駅に戻ってくる、約9kmのコースへと出発しました。

しかし歩きだしてすぐに気づきました、この成瀬台という街は、東京のベットタウンとして昭和の時代に多摩丘陵地を開発して造られた街で、平地が少ないところである事を。そのため道の傾斜が半端ではない、道が入り組んでいるのです。でも下見を終えている比留川リーダーのおかげで、住宅街の複雑な道に迷うことなく、丘陵の尾根を伝う道にでることができました。「本日のコースの見どころ無し!」とあらかじめ宣言していたリーダーですが、サービス精神からか途中「今日の第1の見どころスポットは、この石仏です・・・・?」「第二の見どころ、この景色です・・・?」とコース上に現れる見どころポイントを指さします。しかし参加者らは「この街に住むには車が必要だ。車でも登るのがキツイ」「年寄りに優しい街ではない」「自転車は電動自転車が必須」「まっすぐな道が少なく、道に迷う」等々と、もっぱら街の評価でブツブツ。

しかし、思いがけないラッキー現象=本日最高の見どころがコース上に現れました。コース上の青空に「虹色の環水平アーク」が見られたのです。これには参加者写真撮りに夢中。(ネット上では当日関東地方の各地で見られたと報告がありました)

さてコースは『稜線から見る成瀬台コース』の本命、丘陵地の尾根に50mぐらいの幅で辛うじて残る広葉樹の林を抜けるコースへと入りました。この尾根は東が横浜市(神奈川)と西が町田市(東京都)と別れる複雑な県境にもなっています。

※下に成瀬台地域の昭和42年の航空写真(国土地理院提供)を掲載しましたのでご覧ください。この時期は丘陵地一帯に広葉樹の林が広がっているのが解ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

林の散策路で気分が少し爽快となったところでコース中盤「風の広場」で小休止と集合写真撮り

林の散策路を抜け、本堂の屋根の造りが立派な東雲寺に立ち寄ります。

歩き始めて約2時間、昼食の時間となりました。町田市を水源とし、下流は鶴見川へと繋がる恩田川に面した弁天橋公園で待ちに待った弁当タイムです。

休憩も終え、玉川学園前駅に向け、また丘を登って下るコース終盤に入ります。坂の街は長崎か! 尾道か!はたまた成瀬台か!と、コースの見どころは記憶には残らず、坂が厳しかった事が記憶に残るコースになりそうです。途中「かしの木山自然公園」で小休止。通常ですとトイレ休憩となるのですが、たっぷりと汗で体内の水分を放散済みですので、誰一人トイレ休憩なく、駅を目指します。

本日最後の見どころスポットは「鞍掛の松公園」です。1333年5月16日新田義貞軍が鎌倉へと攻めあがる時、義貞が馬の鞍をかけた松があったとさ、の地です。丘の上から周囲をよく見渡せる場所で軍を休めたと石碑に刻まれてありました。我々も体の疲れを通して納得、理解できていた次第です。

 

 

 

 

 

最終ゴールの玉川学園前駅に向け急坂を下り無事全員ゴールとなりました。解散式を経てビールを飲みに自宅へ、はたまた町田の街へと分散しました。

※稜線から見る成瀬台コースのマップ

2022年5月12日