赤穂浪士討ち入り引き上げ(その2)歩こう会を開催しました。

当日は風もなく穏やかな小春日和のなか、集合場所の築地本願寺本堂前に19名の参加者が集合しました。今回は前回に引き続き赤穂浪士47名の墓所がある泉岳寺までの討ち入り後の引き上げコースの後半約6.5kmをたどる歴史ウォーキングです。途中横道に逸れ、浅野内匠頭切腹の地・増上寺に寄りながらのコースで、築地本願寺(集合) ⇒ 旧新橋停留所跡 ⇒ 日比谷神社 ⇒ 新正堂 ⇒ 増上寺 ⇒ 芝公園 ⇒西郷・勝会見碑、高輪大木戸跡 ⇒ 泉岳寺(解散)をめぐりました。

写真提供:橋本(政)さん、比留川さん、田波さん

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▶集合写真

左側:築地本願寺にて  右側:増上寺にて

▶築地本願寺に集合

集合場所の築地本願寺はインド風の独特な建築様式を持つ親鸞上人が開いた浄土真宗の京都西本願寺直轄寺院で、荘厳な本堂と落ち着いた境内が印象的でした。世話人から本日のコース説明の後、最初の目的地の旧新橋停留所に向かい元気に出発しました。

▶旧新橋停留所跡

旧新橋停留所は明治5年に開業した日本で最初の鉄道「新橋―横浜間」の東京側起点駅で、当時の駅舎を同じ場所に、同じ外観のまま2003年にオープンした建物です。日本の近代化をけん引した鉄道の発展と影響を見ることができます。建物の裏手には、開業当時のレールや枕木跡、石積みホームなどが発見された本物のプラットホーム遺跡があり、日本最初の鉄道駅の貴重な構造が残っていました。

▶日比谷神社

増上寺への途中の日比谷神社の前でしばしの休憩を取りました。日比谷神社は、700年以上の歴史をもつ由緒ある稲荷神社で、もとは日比谷入江の船着き場を守る「入船稲荷」として信仰され、町の発展とともに移転を重ね、現在の社殿は2006年に再建されたものです。

▶切腹最中で有名な「新正堂」で休憩とお土産タイム。

切腹最中は大変美味しかったですよ。新正堂を出てすぐ「浅野内匠頭切腹の地」の碑を経由し、増上寺に向かいました。

▶増上寺

徳川家ゆかりの寺院の芝増上寺に到着し、思い思いに参拝しました。増上寺は1393年創建、浄土宗の大本山で徳川将軍家の菩提寺として栄えた歴史の深い寺院で 、2代将軍・秀忠の正室「お江の方」をはじめ、将軍家の墓所(徳川家霊廟)は国の重要文化財です。増上寺越しに見える東京タワーは素晴らしい撮影スポットで、古と現代が調和した風景が楽しめました。

▶昼食タイム

芝公園の広々とした芝生のベンチで、思い思いに分かれて待望の持参の弁当で昼食。公園の自然を楽しみながら午後のウォーキングに備えました。

▶西郷・勝会見碑と高輪大木戸跡

昼食休憩後、ゴールの泉岳寺を目指して出発。途中江戸城を無血開城した西郷隆盛と勝海舟の歴史的会見の場の碑や高輪大木戸跡を見ました。勝海舟と西郷隆盛の江戸城開城会見の碑は、江戸城を無血開城した歴史的事件を記念するもので、幕府から明治政府への平和的移行の象徴であり、江戸市民の安全を守った歴史的判断を現代に伝える重要な史跡です。高輪大木戸は、江戸城下の入り口として設置された重要な関所で、人や荷物の通行を管理し、治安維持や物資の搬入・課税などの役割を担っていました。

▶泉岳寺

最終目的地の47名の赤穂浪士の墓所として有名な泉岳寺に到着。今回の歩こう会で半/後半と2回に分けたコースを、吉良邸で死闘を繰り広げた後、吉良側や幕府側からの追手に備えながら重い武具を持って歩き通した、当時の武士の意気込みと義士たちの志しと物語に思いを馳せながら、静謐な空間で煙にむせながらお線香を供えました。

▶無事終了

その後、世話人から次月の予定説明の後、再会を期して解散となりました。高輪ゲートウェイ駅へと乾いた喉を潤しに向かう人、品川駅に向かう人などに分かれ、無事終了となりました。ご参加いただいた皆さま、お疲れ様でした。次回の歩こう会も、どうぞお楽しみに!

▶歩こう会Map その2

▶ニュウマン高輪庭園からの眺め

駅に隣接する商業ビル28階からの眺望

▶追伸: 赤穂浪士引き上げ状況(AI情報より)

早朝4時ころからの吉良邸討ち入り戦闘を成功させた赤穂浪士47名は、主君が眠る泉岳寺まで約13kmを緊張のまま行進。吉良邸には200~300名がおり死者20名前後、浪士側は47名ながら死者ゼロ。吉良邸の追手や幕府の出兵を警戒し、武具を外さず整然と行軍したと伝わります。法的には「無許可の武力行使」で重罪でしたが、世論は浪士を忠義の士として賞賛。幕府は最も穏当な処置として、47名をさらしや斬首ではなく名誉ある切腹で処遇しました。泉岳寺までの静かな行列は、忠義と政治判断が交差した歴史的な場面として歌舞伎や映画などで今も語り継がれています。

2025年12月16日